★10回受け終えて
2年かけ、10回どうにかすべてを受けることができました。「アダムカドモンの後に受けるといい」ということなのでお願いしたものの、「アダムカドモンって結局やっぱりなんだかわかんないよー」とはじめは混乱気味かつ半信半疑。けれどやっぱり受けてよかったです。
2年の間に、勤めていた会社が傾いて「お金どーしよー…」なんてことも含めいろいろあったので、安堵と達成感のようなものを感じています。
シリーズは全体的に「強烈だったなー」という印象が残っています。
いつもぼーっとして、姿勢の維持も難しくなってしまうほどだったり、揺れてしまったり、熱かったりと、普通に起きていられたことがなかったです。毎回全然違った内容で、それも面白かったです。
「ライトヒーリング」はなんだか途中で楽しくなってしまってつい笑ってしまいました。またお願いしたいです。
「オーラヒーリング」で、穴がいっぱい空いていたというのには納得でした。疲れにくくなった気がしますし、少しずつ落ち着きが出てきたのもこの後くらいだったかと思います。
「メンタル体ヒーリング」の後は、余計な思いを手放すことができてすっきりしました。
一方、好転反応は毎度おなじみのようにありました。私の場合、直後からその日ぐらいは体が妙に軽いというか、ふわふわする感覚。翌日は強いだるさと眠気でフラフラしそうになる。というパターンが多かったです。
特にきつかったのが、「スターシードヒーリング」「ユニファイドチャクラアウェイキング」「ソロモンの封印ヒーリング」の時でした。
さて10回を終え、振り返ってみると、私は本当に変わりました。嬉しいことがたくさんありましたし、生きることが楽になってきました。
反面、ギャップに戸惑ったりもしています。いろいろなことがありすぎて、どうにも上手くまとまりきらないのを無理矢理まとめてみました。
・前向き+行動力が出てきた
「どうせうまくいかない」を前提に生きていた私が、自分から一つでも変えていこうとする意識が芽生えてきたのは、たぶん、数回受けた後くらいだったと思います。とはいえ、長年自分にダメ出ししていた癖があるので、「だめだ」→「いや、やってみるんだ」→「でもどうせだめだ」→「いやいやとにかくやるんだ」…という思考ループを重ねてかなり疲れました。
今ではこんなループもだいぶ減り、行動に移すことが早くなってきました。2年もかけなければ、もっと早くこの思考ループから抜けられたかも、とも思います。
また、積極的に前へ出ることを「怖い」「恥ずかしい」「失敗したらどうしよう」と以前程は思わなくなってきました。このままいくと、「失敗しても大丈夫」「やらないで後悔する方がつまらない」がデフォルトになってしまいそうです。
・思い込みから解放
後悔ばかりで、過去のことに自分を縛りつけて動けないでいました。「昔、人にあんな嫌なことを言ってしまった/言われた」といったことが、いつも頭を離れない状態。それも重大な事柄ではなく、ほとんど些細なこと。そのため、今を楽しめないというより、楽しんではいけないんだ、生きていてはいけないのかも、とさえ考えてしまい、そこから抜け出せないでいました。
どうも最近は、ふと嫌なことを思い出しても「別にそんなのいいや」「もう許しちゃえ」「誰も気にしてないよ」といった思考になっているらしく、思い出した端からどんどん消化してしまっています。
笑顔や楽しいと感じる時間が増えましたし、「いつも元気だね」と人から言われた時はびっくりしました。
・落ち着きと自信
以前の上司は、すぐにカッとなって怒鳴る人でした。私はすくみあがって、どうしたらいいのかわからなくなっていました。
冷や汗と動悸、息苦しさ、小さなふるえといった反応が体にも現れていました。
そんな自分をいつも「私がだめ人間だからいけないんだ」と情けなく思う毎日。
それが徐々に、「呼吸を鎮めること」と「上司が何について困っているのか」「問題は何か」をまず掴もうとすることに集中できるようになっていきました。
すると、理不尽なことでよく怒鳴るのは「実は上司も不安だった」ということがわかってきました。
それからは「何をすれば解決できるのか」「適切な対応は何か」を考え、行動につながっていきました。
ふるえもいつの間にか出なくなり、以前より格段に落ち着いていられるようになりました。
すると今度は、上司から謝られたり感謝され、最後は精神的に頼られることもありました。
私だけでなく、上司との関係までも変わってしまったことに本当に驚きました。
自己啓発本等にこういう話はよくあるけれど、私は本にあったことをいくら実践しようとしても空回りと失敗ばかりで、何一つまともにできないと嘆いていました。
だから本当に嬉しかったし、自信にもなりました。
・服装
服や小物を選ぶ時はいつも、「無難」「地味」が基準であり、それがすべて。
「それ以外の選択肢なんてあり得ない」「おしゃれなんてしちゃいけない」「似合うわけない」と本気で信じていました。
でも、ある時ふと「ほんとにそうかな?」と思う自分がいました。
セッションを4、5回くらい受けた頃だったかと思います。
服をみていて、いつもと違う色が気になっていました。
そーっと鏡の前で当てて見るだけでも「変に見られないかな」ととてもドキドキしたのを覚えています。
そこからだんだん勢いづいて。「たまにはこういうのも面白いかも」とサロペットを買ってみたり。
「ちょっとじゃらじゃらさせたら楽しいかも」と長いネックレスの重ねづけをしてみたり。
今は「気分に合わせていろいろやりたい」が私にとって自然なことだと思えます。
本当はこういうことが好きだったけれど、ずっと抑圧して、抑圧していることさえ意識できなくなっていたようです。
小学生の頃の厳しい先生や、同級生の酷い言葉とか、原因を思い出したんですが、それ自体、もうどうでもよくなりました。
・考え方
だんだん周りの人達の話しに違和感を感じてきました。
この変化については正直なところ戸惑っています。
ある種の過渡期なのか何なのか、観察してもまだ戸惑いを整理しきれないので、今の状態をそのまま記述するより外ないと思いました。
ごちゃごちゃしている上、引いてしまう内容かもしれないけれど、なるべく正直に書きます。
「あんなにすごい○○をできるようになるなんて、私には一生無理」という話に、一緒に頷けなくなってきました。
「私に△△をするのは不可能」という類の話しに対して、「本当にそうなのかな? どうしてそう思うんだろう」と素で感じている自分にハッとしたりします。
自分もちょっと前までそれが当たり前だったはずなのに「やってみれば」と胸の内で呟いていたり。(※○○とか△△は例えば英会話とか、武道とか、楽器とか、ダンスとかそういう類のもの。未経験の人も、上手い人でも同じ。謙遜よりも否定する要素が強いような言い方)
しかも、自分に対しては「私は武道やって絶対強くなる」という根拠はどこにも無い謎の確信が芽生えてしまっています。(今のところ、強さの片鱗も見えません)謙虚さを失くしてしまったのか。
でも、自惚れとは違うような、やや無邪気さに近いような感覚です。
それに、以前の私が言う「できっこない」は謙虚というより悲観だったので、無くなっても構わないものなのかもしれません。
また、服装に限らず、「□□しちゃいけない」という種類の抑圧は減ってきたのですが、反面、他の人が自身を抑圧している姿に違和感を感じる瞬間があります。
「やってもいいんじゃない?」と思わず口をついて出てしまった言葉に驚かれたり嫌な顔をされたりしてしまったことも…。
それから、悲観やニヒリズムに漫然としている人を見ると、「どうしてそこで止まっているんだろう」と思っていることがあります。
そもそも「漫然」と感じてしまう自体ありえないことでした。
以前ならすんなり同意なり同調なりしていたはずなのに。
同意を求められ、咄嗟に何て言ったらいいかわからなくなってトンチンカンな返事をしてしまうこともあります。
もう、これまでと同じ付き合い方ができなくなってしまいそうです。
「頷いてしまったら嘘になるかも、不誠実かも」などと考えてしまって、うっかり不器用な反応をしてしまう失態も時々あり、それについて「でもこれ、本当に『失態』なのかな」と首を傾げたり「いやいや、こんなふうに考える自分っておこがましい!?」と反省してみたり、「でもやっぱり、(悲嘆してる人等に)何か私ができることないかな?」などと思い、試行錯誤する日々です。
以上、無理矢理なまとめでした。
私が変わったのはアダムカドモン後だからというのはもちろんですが、それだけだったら、こんな激変は無かった、と断言できます。
セッション無しだったら、私は今でも無限の思考ループにはまりこんでいたでしょう。
おしゃれをするのも恐る恐る、「こんなの違う」と思いながらもびくびく周りの顔色を伺いながら仕事をし、毎日疲弊しきっていたのではないでしょうか。
セッションが変化を加速し、スムーズにしてくれていたんだな、とまとめながら思いました。
生きてて嬉しい、楽しい、と感じられるようになれて、本当に感謝です。ありがとうございました!!